2013年2月18日月曜日

笹井 宏之






廃品になってはじめて本当の空を映せるのだね、テレビは

初めての草むらで眼を丸くして何かを思い出している猫

時計から兎の駆けてゆくやうな気配がしても誰にも言ふな

六月の雨が両手を伝ひつつわが深層へ雫するのだ

ひとときの出会ひのために購ひし切符をゆるく握りしめたり

なんといふしづかな呼吸なのだろう 蛍の群れにおほはれる川

白砂をひかりのような船がゆき なんてしずかな私だろうか

気のふれたひとの笑顔がこの世界最後の島であるということ

顔をあらふときに気づきぬ吾のなかに無数の銀河散らばることを

さあここであなたは海になりなさい 鞄は持っていてあげるから

あをぞらの青が失はれてしまふ汝を抱きしめてゐるあひだにも

落花生食む度に落つ甘皮に人の残せるは何ぞと問ふ            

ひとが死ぬニュースばかりの真昼間の私はついにからっぽの舟

おそらくはあなたにふれていたのです 浜昼顔の眠りのなかで

夕立におかされてゆくかなしみのなんてきれいな郵便ポスト

太陽の死をおもふとき我が生は微かな風を纏ふカーテン 

ほんとうにわたしは死ぬのでしょうか、と問えば杉並区をわたる風

あなたとの日々をゆっくりOFFにしてそれきり電池切れのリモコン

祝祭のしずかなおわり ひとはみな脆いうつわであるということ

百年を経てもきちんとひらきますように この永年草詩篇



                                          笹井 宏之(1982-2009

                                                             

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